ミライにつながる建設情報コラム

第7回 終章|伊藤組と札幌駅

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2030年度の北海道新幹線札幌延伸に向け、札幌駅周辺は今まさに変革の時を迎えています。札幌で暮らす皆さんや、通勤通学、レジャーなどで札幌駅を訪れる皆さんは、駅周辺のさまざまな変化を日々目にしていることでしょう。最終回のコラムでは、移りゆく時代に沿って札幌駅に関わり続けながらも、変えてはいけないものを大切にしてきた伊藤組土建の想いを改めてお伝えしたいと思います。

JRタワー完成直後の周辺全景

「新幹線札幌駅乗入促進期成会」と「札幌駅を楽しくする会」

伊藤組グループは、建設工事ばかりでなく札幌駅周辺を活性化するための活動にも積極的に関わっています。代表的なものが「新幹線札幌駅乗入促進期成会」と「札幌駅周辺を楽しくする会」です。

昭和45(1970)年5月に「全国新幹線鉄道整備法」が成立してから、伊藤義郎はいち早く昭和47(1972)年4月に「新幹線札幌駅乗入促進期成会」を立ち上げました。これは当初から義郎が「札幌におけるまちづくりの要は札幌駅であり、新幹線は既存の札幌駅に乗り入れるべき」との強い考えを持っていたからです。このことは、その後毎年開催される「新幹線札幌駅乗入促進期成会」および「札幌駅周辺を楽しくする会」合同の役員会・総会の冒頭において必ず語られています。当時の北海道新幹線ルート案のうち南回り案では、基本計画に盛り込まれている旭川延伸を考慮し、新幹線札幌駅を現在の札幌駅とはかけ離れた札幌市東部地区に設置するという構想でした。義郎はこれに真っ向から異を唱え、「札幌の交通結節点は現在も将来も札幌駅であるべき」との信念を主張してきたのです。

鉄道関係者においても、過去の新幹線建設の経験からいえば新幹線駅は在来駅に併設するのが基本的な考え方でしたが、一方で北海道新幹線のターミナル駅としては、ホーム等への誘導や待合いが円滑に機能するために十分なスペースを確保することが必要でした。

結局のところ、平成30(2018)年3月29日に国土交通省、鉄道建設・運輸施設 整備支援機構、北海道、札幌市、JR北海道の5者協議において、現在の札幌駅東側に新幹線旅客ホームを設置することが決定。調整に時間を要したものの、これによって新幹線と在来線との乗り換え動線の確保とともに、新幹線ホーム直近に十分なスペースを確保することが可能となりました。このことは、義郎が46年前に想起し、長年にわたって「新幹線を在来の札幌駅に乗り入れよう」という機運を醸成してきた活動の成果でもあります。関係機関によって新幹線駅の位置の検討が行われていた頃、「新幹線札幌駅乗入促進期成会」改め「新幹線札幌駅現駅乗入促進期成会」の会員数は146社にのぼっていました。

一方「札幌駅周辺を楽しくする会」の活動は、札幌駅南口広場をフラワープランターで彩る「花のさっぽろ駅前まつり」として定着しており、令和6(2024)年度に47回目を迎える予定です。なお、平成26(2014)年度からは範囲を広げ、北口広場でも植栽の飾り付けを行っていましたが、現在は工事のため中断しています。

亀太郎の「責任観念」と豊次の「誠心誠意」を社是に

伊藤組創業者 伊藤亀太郎は、幼少期から生涯にわたって「責任観念」の人でした。幾多の困難な請負工事をこなして大きな成果を挙げたこと、小樽で目をかけてくれた小林茂三郎の事業をわが身のこととして引き受け、小林の死後も事業整理に奔走したこと、組員・緑者・知人と良く付き合い、終生面倒を見たこと、出生地である新潟・出雲崎に伊藤家の菩提を弔ったことなど、全てが亀太郎の「責任観念」に裏付けされた行動でした。亀太郎は、自らが体を張って物事を進めていくという覚悟を持った、まさに「責任観念」の人であったのです。

2代目を継いだ伊藤豊次は、父・亀太郎のこのような姿を強烈に意識していました。そして、伊藤組発展の源泉は「責任観念」であり、会社ぐるみで「責任観念」の意識の醸成が欠かせないと考えました。
北海道建設業界のリーダーであった豊次は、戦前戦後の奉仕と耐乏を凌ぎ、昭和21(1946)年10月には貴族院議員に選出されました。また、これと前後して北海道商工会議所連合会会長など経済界の要職にも就いています。しかし、若いころから合理精神や清廉性が強く、虚栄・虚飾や不合理を嫌ったといわれる豊次ですから、こうした華やかな役職は性に合わず、その後政財界とは一線を画して本業に専念しました。それからは組織の近代化を図り、本格化する戦後復興の担い手として尽力したのです。 豊次の「誠意」は、令和6(2024年3月)に閉館する北海道建設会館の建設にも顕著に表われています。この建物はもともと亀太郎が土地を賃借して全道建設業者の集会場所としたもの。父の意志を尊重した豊次は戦後の混乱期にこの土地を競落し、その後の札幌建設会館設立に至りました。豊次の経営者としての行動は、常に亀太郎や組員、また道内建設業界など他者に対する誠意に基づいていました。豊次の時代は伊藤組も発展期を迎え、この「誠意」によって社会からゆるぎない信頼を築いたといえます。

伊藤組の社是は、義郎によって昭和55年6月1日付の「社報」第114号紙上で正式に披露されました。豊次が組の信条として定着させた「責任観念」に加えて、彼自身が体現してきた誠意による社会貢献の姿を「誠心誠意」と表現し、これらを一体不可分の理念としたのです。3代目を受け継いだ義郎には、祖父・亀太郎の「責任観念」と父・豊次の「誠心誠意」の精神が直に受け継がれています。社是の制定によって、今後とも伊藤組を支える大切な理念は「責任観念」と「誠心誠意」であることを表明した形です。義郎は土木建築業に携わる者として、次のように語っています。「創業の時以来、私共は自ら働いて何かを作ってやろうということを唯一の生き甲斐と致しました。(中略)そして社訓に責任観念を掲げてまいりました。私はそれに誠心誠意という言葉を加えました。責任をまず果たす。そして誠心誠意それを果たす。(中略)ただ、果たせばいいというのではありません。十分それに応えるだけの技術、勉強がなければ責任を果たせませんが、それに誠心誠意ということをくわえました。」

創業者の精神は継承され、伊藤組の理念として息づく

新幹線時代の札幌駅を通じて伊藤組が求められるものとは?

ここでもう一度、伊藤組と札幌駅との縁について振り返ってみたいと思います。

明治41(1908)年以来、伊藤組は歴代札幌駅舎の更新工事を請け負ってきました。この116年間にわたる伊藤組と札幌駅の縁が、伊藤組と北海道の鉄道との関係を象徴的に表わしています。

明治18(1885)年4月27日、亀太郎は21歳の時に新潟の出雲崎から船で北上し、海岸沿いの各地を訪問しながら5月27日に小樽祝津港に着きました。ここからは陸路で小樽市街へ出て、同郷の加藤忠五郎宅に1泊。翌28日に手宮駅から鉄道に乗り、午前6時30分発の直通列車で午前8時に札幌駅に到着しました。亀太郎が鉄道を利用するのはこれが初めてだったと思われるため、北海道に先進性を感じたかもしれません。この頃の札幌駅は2代目駅舎。この時、将来の亀太郎自身がこの駅舎を更新することになるとは考えもしなかったでしょう。

明治40(1907)年10月、2代目駅舎は火災に見舞われ西側半分が焼失してしまいます。創業15年目を迎えていた伊藤組は事業隆盛の繁忙な中にありましたが、亀太郎は創業当時から続く鉄道工事との縁を大切にして「札幌停車場建替工事」に応札したのではないでしょうか。そうして明治41(1908)年7月9日、この工事を落札。亀太郎が23年前に降り立った旧2代目駅舎を撤去し、3代目駅舎を新設することになりました。これが、伊藤組と札幌駅の100年を超える長い物語の始まりです。

戦中・戦後の困難を凌いで伊藤組グループが創業60年に至る頃、豊次は伊藤組グループの近代化を進めていました。そのさなかの昭和26(1951)年、伊藤組土建は4代目駅舎の更新工事に着手。この施工の困難な点は、先進的なコンクリート構造で規模が破格に大きかったこともありますが、それにも増して、旅客営業している鉄道駅と隣り合わせで工事を進める状況でした。新駅開業・旧駅撤去・旅客ホーム増築といった時間のかかる手順と、いかにしても安全第一という鉄道特有の施工だったのです。

平成5(1993)年、義郎の代に伊藤組グループは創業100周年の節目を迎えました。これと前後して、5代目駅(高架駅)とJRタワー(6代目駅舎)の大規模工事に着手。国鉄は民営分割され、JR北海道の札幌駅も商業施設との複合化が本格的に進められる時代がやってきました。伊藤組土建は5代目札幌駅部分とJRタワーの施工を担い、札幌駅更新の歴史を三度刻んだことになります。

そして、令和5(2023)年に130周年を迎えた伊藤組グループは、今また北海道新幹線札幌延伸工事と札幌駅交流拠点再開発事業の真っ只中にいます。これまで伊藤組が手掛けた鉄道関連工事は全道に広く及んでいますが、これらの中で際立った実績を体現しているのが札幌駅です。現在のJRタワー、大丸百貨店、南北駅前広場、南口地下街、アピアドームといった札幌駅南口の景観の大部分は伊藤組が手がけた建築物で構成されています。3代目駅舎の施工以来、札幌駅には伊藤組先達諸兄の技術と労力が投入されてきました。札幌駅は時代と共に更新を重ねていますが、この場所には北海道の鉄道の歴史が蓄積しています。だからこそ、今の伊藤組土建を担う私達には、伊藤組を支えてきた先人たちの熱意を記憶に留め、積み上げてきた成果をこれからの札幌駅の姿に反映していく役割があると思うのです。

札幌駅は、鉄道盛衰の歴史の中にあっても常に道内交通の中心的役割を果たしてきました。またこれからは、北海道新幹線の札幌延伸によって飛躍的に拠点性が高まることが期待されています。気候変動による農林水産業への対応、首都圏の大規模地震発生リスクへの防備、国の安全保障政策としての食料・自然エネルギー供給など、国民的重要課題において北の大地への期待は大きくなる一方でしょう。道都札幌の政治的・経済的役割への期待はさらに強まり、新幹線札幌駅開業後の札幌駅周辺地区にはこのポテンシャルに見合うだけの都市機能の集中と高度化が求められます。

平成30(2018)年の開道150年を期して、義郎は「国内、世界からも北海道を再認識してもらう。それは待っていてはだめで、自ら創出すべきことである。」と語りました。
これは、北海道の未来をどう創造するのかという、義郎から次代を担う社員たちへの問いでもあります。伊藤組グループは「責任観念」「誠心誠意」のもと、この問いに対する答えを身をもって示し、北海道のリーディングカンパニーとして歩み続けたいと思っております。

再開発ビルイメージ図

全7回にわたり、コラムをお読みいただきありがとうございました。2030年度に新幹線が札幌へやってくるまでの間、札幌駅の近くを通る時、周辺工事の様子が目に留まる時、鉄道で旅行する時などには、札幌駅にまつわる「駅の記憶」や「まちの記憶」にも思いをはせていただけるとうれしいです。近い未来の札幌駅周辺がますます皆さんの思い出に残る場となるよう、伊藤組グループも力を尽くしてまいります。

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